なぜ??尾道にイカ天の製造会社が多い理由とは。

いか天・・・みなさんの中にも一度は食べたことある、という方も多いのではないでしょうか。いか天とは、乾燥させたいかに衣をつけて油で揚げた加工食品です。広島県ではいか天を具材としてお好み焼きに入れて調理します。そのため、広島ではいか天はおつまみとしても、食材としても広く流通しており、幅広い世代の方にとても人気のある食べ物です。このいか天を製造する会社は全国で11社、そのうち9社が広島県内にあり、半数以上の5社が尾道市内にあります。

今回は、皆さんが大好きなイカ天の歴史、そして尾道には“なぜ、いか天の製造会社が日本一多いのか?”という謎に迫ってみたいと思います。

尾道には海路と陸路の交通の要衝としてモノや情報が集まっていた

ではまず、この謎を解き明かす前に、尾道市の歴史について触れておきましょう。

尾道市は、広島県東部に位置する港町であり、古くから海運に恵まれた土地として発展してきました。市内には、江戸時代に建てられた歴史的建造物や、美しい風景を楽しめる観光地が多くあります。尾道市の歴史は、古代に遡ることができます。古代には、現在の尾道市域一帯は瀬戸内海に面した筑前国(現在の福岡県北部)の支配下にありました。その後、平安時代には、当時の豪族であった平将門が尾道を拠点として活躍していたと伝えられています。江戸時代に入ると、尾道は船舶の修理や商業の拠点として発展し、多くの商人たちが栄えました。尾道市内には、当時の町並みを残す尾道商人の家や、古い商家などが現在も残されており、その豪華な内装や建築技術から、当時の商人たちの繁栄ぶりがうかがえます。また尾道は、交通の要衝としての役割を果たしていました。特に江戸時代には、北前船や九州・四国など全国の商船が尾道に一同に集まるようになりました。

その理由としては、尾道が瀬戸内海を横断する水運の交通の要衝であったこと、瀬戸内海を通る海運路である瀬戸内海航路の中継点に位置していたことが挙げられます。また、尾道は、陸路の交通の要衝でもあり、山陽道の宿場町として発展しました。このため、尾道は、海路と陸路の交通の要衝として、物流や情報の集散地としての役割を果たしていました。加えて、尾道は、戦国時代には毛利氏の拠点となり、江戸時代には広島藩の城下町となって発展しました。これによって、尾道は、商業や工業などの経済的な発展にもつながりました。また、幕末には尾道海軍伝習所が設置され、海軍の発展にも貢献しました。

これらの要因が重なり、尾道が全国的な商業都市としての地位を確立することにつながりました。北前船や九州・四国など全国の商船が尾道に集まるようになったことで、尾道は商業の拠点として発展し、物流や情報の集散地として重要な役割を果たしました。そして、現在も、瀬戸内海を中心とした交通網の要衝として、観光地としての魅力を持つ尾道市は、多くの人々に愛されています。

 

以上のことから、尾道市の歴史は古く、海に近い港町であることから地理的にも海産物の供給に恵まれていたことは推測出来ます。でもなぜ尾道にはいか天の製造会社が集まっているのでしょうか?その理由には、地理的・歴史的な背景があります。

尾道でいか天産業が発展した訳

以下では、尾道におけるいか天産業の歴史や現在の状況について解説します。

尾道でいか天が盛んな理由は、尾道が古くから海の交通の要所として栄え、海産物が豊富だったことにあります。また、前述の通り、江戸時代には、北前船や九州・四国など全国の商船が尾道に一同に集まり、海運の要衝として発展しました。

では尾道に数多くの商船がやってきたのはなぜか?それには諸説ありますが、北海道をはじめ、ほかの地方では入手できないものを尾道が持っていたからと言われています。その入手できないもの・・・それは『塩』です。当時、瀬戸内地方では、雨の少ない気候によって塩田の開発が盛んに行われ、日本でも最大級規模の塩田地帯となりました。 その塩を求めて、全国の商船が後のイカ天の原料になる、スルメをはじめとした質の良い海産物を運んでくるようになったのです。塩のおかげで、質の良い食材が集まる全国でも有数の港として発展しました。そのため、尾道では昔からイカやタコなどの海産物が豊富にあり、それを生かしていか天が作られるようになりました。また、戦後の混乱期には、多くの尾道の漁師たちがいか天の製造に転業し、町を支える産業として発展していきました。さらに、尾道市内には、かつては多くの魚屋や魚問屋があり、それらの店で余ったいかの部位を使って、手作りのいか天が作られていました。そのため、尾道のいか天は、素材にこだわり、手作業で丁寧に作られていることが特徴的です。

このように、尾道が古くから海の交通の要所として栄え、豊富な海産物を生かしていか天が作られるようになった歴史的な背景や、漁師たちがいか天の製造に転業し、手作りのいか天が生まれたことが、尾道でいか天が盛んな理由です。

現在、尾道市内には5社ほどのいか天の製造会社があり、尾道市内で生産されるいか天は、全国的にも有名であり、各地の土産物店やスーパーマーケットで販売されています。尾道市のイカ天産業は、地元の漁業と密接に関わりながら、伝統と技術を継承し、多様なニーズに対応していくことで今後も発展していくことが期待されています。